靖國神社音楽法要


平和に生きていられることの大切さを再認識

                   名古屋市 (株)ウッドミック 安田 明義

和田僧正のお誘いのおかげ

 観蔵院・和田仙心師とのおつき合いはかれこれ15年近くになろうか。当時、神戸にあったドイツ製の木工機械を扱う商社の広報担当部長であった和田師と業界専門誌記者の私との初めての出会いは、何かしら旧知の間柄のような親しみを覚えてなのか、和田師が企業をお辞めになられてからも不思議と御縁が続いている。

 当時はよく、単身赴任の和田師のお宅に泊めて頂いた。その折、和田師が何ゆえに仏道に入られたのか、持てる力を病気に苦しむ人々の平癒に活かすのか、大戦中南方戦線で失われた兵隊の遺骨収集を手伝いつつ浮かばれぬ英霊の魂の平安を祈る毎日である事を、長いおつき合いの日々の中で会話や事相を通じて目の当たりにしてきた。

 「安田さん、この度靖國神社で音楽法要ができることになりました。11月24日は是非、靖國神社へおいで下さい」と、最初に電話があったのは半年以上も前のことだった。毎年、何やかんやと話題の絶えない、問題の靖國ではあったが、和田師のお誘いとあっては断る理由は全くなく、音楽法要の当日は、静岡県榛原郡徳山にある「大元堂」を設計された上之郷員啓先生と御一緒して、初めて靖國神社の大鳥居をくぐった。

 靖國神社は明治2年(1869)に明治天皇の思し召しにより、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人たちを祀るために創建され、初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖國神社と改称されて今日に至っている。後に嘉永6年(1853)、アメリカのペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社であるという。明治維新以降今日迄、246万6、427人の御霊が靖國神社御祭神として祭られていると資料にあったが、いずれにしても当時は旧陸軍及び海軍省直轄の施設で、また靖國参拝問題も決着が付かないままにあることから、正直親しみ難い想いもあり和田僧正からのお誘いがなければひょっとして訪ねる機会も無かったのかも知れない。

大きな充実感に感謝

 東京という大都会のど真ん中にある靖國の森は、予想に反してとても平安で静かな聖域であった。神職の方に案内されて拝殿に座り、しばしの間開演を待つ。11月末なので少し肌寒い風が参加者の間を縫って過ぎる。と、定刻過ぎ、アナウンスとともに尺八が演奏された。鎌田洋一氏による尺八の音は厳かなそれでいてとても暖かく、拝殿から靖國の森へふわっと拡がって行くような感じで、参拝客の心を洗ってくれる。

 密教では、大法会の折りに真言僧が道場へ入る際にその道中を清め、大地を清める祈りを声明という僧が唱える声楽で行うそうであるが、その「露地偈」を今回は尺八で演奏され、これは平安時代以降まさに初めてのことだというのだから凄いの一言。心地よい尺八の音色に少しく感動を覚えていると、拝殿後ろ中央から和田仙心阿闍梨の一行が静々と拝殿前方に進まれ、和田僧正がその中央の祭壇に着座された。さっそく僧正による加持祈祷がなされ靖國に祭られている多くの祭神に対し供養の祈りが捧げられた。

 和田僧正は観蔵院靖國神社音楽法要願文を読みあげ、その声が拝殿に染み渡った。その時、参加者の魂は何かしらの清浄なものに洗い流され、とても澄んだ気持ちになれたような気がした。同時に、お祀りされている多くの英霊たちが心静かに安寧の波動を我々に注いでくれたような、気がした。

 続いて岡田ユキさんのボーカル、垣内裕志氏のバス、枝川淳一氏のドラム、岸真澄氏、佐々木じょうじ氏のギター、そして永井里奈さんのコーラスで「1.和、2.田、3.仙、4.心のテーマ曲と、5.遥かなる時を超えて」が演奏された。

 静かな靖國神社の拝殿に突如現代音楽が鳴り響き、他の一般の参拝客も恐らく私達以上に驚いたに違い無いが、その演奏曲は心からの供養を捧げたいという人々の気持ちをより高揚させ、靖國に祭られている先人のお陰をもって、今日の平和があるのだと私達に素直に理解させてくれた。この曲は、まさにヒーリング効果の高い音楽で、現世に生きて祈る私達はもとより、靖國の森に祭られている霊の方々が非常に悦ばれたであろう、と何故か直感できた。あぁ、今日靖國の音楽法要に参加して本当に良かったな、と初めての靖國参拝にも拘わらず、大きな充実感を頂け、感謝しております。

 一連の音楽法要を終え、参加者は和田僧正一行に付いて本殿に移動し、ここで神式に則り玉串を捧納させて頂いた。本殿は一段と静粛な雰囲気で、ここは確かに祈りの場であることを実感する。

 法要終了後は近くの九段会館で懇親会が開かれました。挨拶に立たれた靖國神社の三井権宮司のお話に寄れば、靖國神社で現代音楽が演奏されたのは今回が初めてであり、普通ではあり得ないことだとおっしゃられた。まさにそうであるに違いないと思ったが、やはり今回の音楽法要が靖國の英霊供養にとっても必然であったことだなと確信できた。

 そういえば、三重県四日市市八王子の観蔵院でも、静岡県榛原郡徳山村にある大元堂でも、和田僧正は諸仏とともに毎日先の大戦で亡くなられた英霊を供養し続けておられる。靖國神社での法要の主宰はいわば和田仙心師の悲願でもあり、この度無事達成された事を感動をもって心より祝福したいと思っている。

 今回の音楽法要は参加者の宗旨を超えて、靖國神社に祭られている日本国の為に殉じた英霊と犠牲になられたアジア、世界各国の人々の霊に対して捧げられた。と同時に、私達が今現在を平和に生きていられることの大切さを再認識する機会となった。奇しくも、イラクに自衛隊派遣の前にフセイン元大統領が捕まったというニュースが流され、これも日本を護る英霊たちの助けがあったのかも知れないと思った・・・・・・。


英霊が命をかけて希求した日本を

   東京都狛江市 元日本軍 瀑撃機『銀河』搭乗員  鈴木 昭(84才)
 
友人の一人として同慶の至り

 平成15年11月24日、和田仙心師のお招きを得て、佛式に寄る「靖國神社音楽法要」に参加した。厚い雲に覆われて、初冬の寒気が身に凍みる参道を上ると、落葉の季節にもかかわらず、掃き清められた境内は清澄の気に満ち満ちていた。

 やがて仙心師と僧侶の方々が法衣をまとって拝殿に着座され、定刻通りに法要が開始された。英霊に語りかけるが如き仙心師のお言葉に伴い、感謝を献げる岡田ユキさんの歌声に合わせて、グループのミュージシャンの方々による高度な現代音楽のリズムが大音響となって靖國の森に轟き渡った。音楽を伴った佛式法要は、一世紀余の靖國神社の歴史に新たな扉を開いたことでもあり、英霊の方々にはきっとご感心をいただけたことと思う。

 仙心師が気鋭の商社マンとして活躍していた30年前、商用で訪れたパプア・ニューギニアの古戦場で幾十万の英霊の望郷の声無き叫びをひしひしと体感したと聞いた。かの大戦中でも最も過酷で悲惨を極めた戦場と言われるこの山野には、二十数万の兵士の尊い命が散らされている。彼が背広を法衣に替えて佛門に帰依したのは、帰国して程なくのことであった。以来佛道に精進して今日に到った。原点は、このニューギニアの大地にあったと私は配察している。戦争を知らない世代の仙心師が、山野に眠る英霊の声なき声を聴き取る非凡な感性と熱い心には唯々感服の他はない。師が佛式に寄る靖國神社での慰霊法要を熱望しておられたことは以前から承知していたが、年来の希望を達せられた仙心師の心中を拝察するに、友人の一人として同慶の至りである。

戦場での別れの言葉は「靖國神社で逢おう」


 靖國神社は古来の日本神道にのっとって一人一人が神として祭られている。然し生前の英霊の方々は、神道、佛教徒、キリスト教徒、その他諸々の宗徒の出身者であることも事実である。神社はそのことを十分に承知しており、他の宗教を排除している訳ではないにもかかわらず、一部の政治家、学者、文化人、宗教家等は、そのことを根拠として神社での合祀に反対として今日に至っている。このことは英霊の心を知らぬ行為である。

 私は大戦の開始以来戦場を共にして来たが、図らずも生を得て今日を迎えているが、戦場での別れの言葉はひとしく「靖國神社で逢おう」であった。戦場に赴いた陸・海軍軍人、官吏、民間人は男女等しく再会を誓う所が靖國神社以外には無かったのである。

 現在、神社を訪れる多くの人々は、神との対面ではなく肉親であり、友としての対面であり、「貴様と俺」の語りかけであると思う。「同期の桜」は、その心情そのものを歌っているので書き添える。

  貴様と俺とは同期の桜
  同じ航空隊の庭に咲く
  咲いた花なら散るのは覚悟
  見事散りましょ国の為め
  貴様と俺とは同期の桜
  離れ離れに散ろうとも
  花の都の靖國神社
  花の梢で咲いて逢およ

 小泉首相は常々「今日の日本の繁栄は、靖國の森に集う英霊のお陰」と感謝の言葉を述べておられる。今迄、一部の心無い者の主張や他国の内政干渉に怯むことなく、鴻鵠の志そのままに堂々と歩を進めて、英霊が命をかけて希求した日本を確立されるよう願って止まない。

 終りに、今回の法要に、年来の努力を傾注して実現された和田仙心師を始め、関係者御一同及び参加された方々に感謝を申し上げると共に皆様のご健勝を心から祈念しつつ稿を終る。

観蔵院音楽法要を終えて

                        靖國神社 権宮司 三井 勝生

 和田先生が行われた「音楽法要」が80名を上回る皆様方の参列のもとに、無事終了されましたことを、心よりお祝い申し上げます。

 今回のような「音楽法要」は、本来ならばお断りさせて戴いていたと思います。本日奇しくもおいで下さっている、療法家の達人であります鈴木大吉先生が、「和田和尚の祈祷は、確かに効く」とおっしゃったことを、聴いていた私は、その後、和田先生と懇意にさせて戴き、先生が、英霊の鎮魂・顕彰を真剣に行っておられること、靖國神社の大型祈願神霊を掲げて、祈願されていること、又東南アジアでの遺品を収集され、靖國神社へ奉納戴いていたこと、等を知りまして、一層これは有難いお方であると分った次第でございます。

 「音楽療法」の音楽を担当される、岡田ユキさんを紹介して戴きましたが、岡田さんは、「遥かなる時を超えて」という歌を作詞作曲されるという。この意欲は、素晴しいと思い、この時何とかして開催出来るように、しなければならないと覚悟を決めたのです。そして、宮司、祭務部長の了解を得て、今回の法要が実現出来たという経緯がございました。

 和田先生の「願意」は、見事に法要の趣旨を英霊に語られており、岡田ユキさんの歌も神・仏・基の三つの宗教を融合され、宗教を越えて日本の安泰と世界の平安を歌いあげられ、これならばどこから文句が出たとしても堂々と対応出来ると思い、あとは安心して「音楽法要」の中にひたっていることが出来たのです。

 この懇親会にご出席いただいている皆様は、「音楽法要」に参列された方ですが、この皆様方は、和田先生の修される、真言密教の秘法「大元帥明王法」によって、修法して戴き、難病治療の素晴しい効果を体験された方、或は強大な威力をもつ「大元帥明王法」の鎮護国家の法力に共感される方々であると存じます。和田先生の御祈祷と皆様方の念じられた力と相合わさって、英霊の大いなるいさおし(功績)を称え、英霊もそれに感応し給うた、という証しを確知された方々も多数おられることを知りまして、この「音楽法要」は、大成功であったと思った次第でございます。

 靖國神社の拝殿に於いては、いかなる宗教方式で祈願をされても結構でございます。祈願終了後は、本殿におきまして、神式で玉串奉納をして、拝礼をして戴ければ、いつでも受付させて戴いております。これは、御祭神が、神道、仏教、キリスト教等の信仰をもっておられた方々でございますので、どなたでもご自由に祈願を捧げていただきたいという神社の基本方針でございます。

 今回の「音楽法要」という方式は、神社はじまって以来のものではございましたが、和田先生の英霊に対する積年の思いが、御祭神、修法者の方々、音楽を担当された方々、ご参列の皆々様、ともに、お喜びいただけたものとして、誠に有難いものであったと存じ、心よりお礼を申し上げます。