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法恩に報い、多くの人々を仏縁に導きたい観蔵院徒弟 藤方 道心 (京都市)南無大師遍照金剛 私は幼少の頃、仏陀釈尊に畏敬の念と共に絶対的帰依をして数十年後、幸運にも密教に遭い僧侶となることが出来ました。 密教は、呪術を否定した釈尊の没後、長い時間をかけて現世利益の要請から仏教に呪術祈祷が入り込んだ結果、それが仏の教えと混在していた時期(雑密)を経て、体系づけられたものである。その教主は、従来の歴史的存在である仏陀釈尊でなく、宇宙的存在にまで高められた大毘盧遮那仏である。 大日経は、この宇宙に遍満する真理そのものである法身のブッダを体現する実践修法・印・真言・曼茶羅の描き方や護摩供養や灌頂の方法などの基本要素で、金剛頂経は、五段階の瞑想法(五相成身観)を通じて速時に大日如来と一体化する瑜伽の秘法が記されている。 つまり、究極にまで高められた仏教の宇宙観に、瑜伽による成仏法、そしてその利益を他に向ける加持祈祷法などが総合された、仏教の最終形がここに成立したのである。 第七祖恵果の時点で金胎二つの密教の流れが合流し、そのエッセンスが全て空海に託され東国日本で大きく花開き、以後インドでは呪術祈祷の供給源だったヒンドゥー教が仏教を覆い尽くし、中国でも密教の法は次第に途絶えてゆき、空海の授かった密教は、日本でのみ継承されることになった。 私自身の目標であり真言密教の究極目標の即身成仏は『即身成仏義』で論じられていて、宇宙の働きは大日如来の身体・言語・意識の働きであるとし、それらの働きに人間の働き(三業)を合致させる事で、その身そのままで成仏できると説かれている。 『声事実相義』には、如来の説法は音声文字によるとある。六大を本体とし、人間が経験する全ての対象が音声文字だと理解でき、さらにこの音声文字は大日の三密の働きの現れで、ここから全宇宙は大日如来の説法として把握される。 この真の意味を象徴的に表現したものが真言に他ならないというのである。 他の顕教との比較では、十住心論に心が低い次元から悟りにいたる過程を十段階(十住心)に分け、各段階に儒教や仏教各派をあて、最終的には真言密教にいたるが、結局全ては密教に含まれるという「九顕十密」の立場をとっている。 また『秘蔵宝鑰』『弁顕密二教論』もやはり、十住心論を引用、比較して論著され、『般若心経秘鍵』は、顕教の経典を密教的に解釈した註釈書である。 心経は大般若菩薩の悟りの境地を示したものという立場から、各宗の教えが説かれているとし、心経の中に顕密のすべての教えが含まれていると論じている。 空海二四才の処女作には『三教指帰』があり、儒教、仏教、道教の三教のうち、仏教を選んだ理由を戯曲風につづられ、最終的に仮名乞児の提唱する仏教に全員が敬服する内容である。 現代の日本は世界の国々の中でも世俗化が最も進んだ非宗教的な社会だと、宗教学者は口を揃えて唱えている。確かに、仏陀釈尊の時代と現代とは同種の苦悩はあるが、比較にならないほど脳生理学的にも心理学的にも人間が変化し、そこには古代には見られない多くの葛藤やストレス抑圧意識を抱えていると考えられる。 この救済こそ宗教であり真言密教である。 私は仏陀釈尊と弘法大師空海の宗教理念を携え、この法恩をお返しする為にも、必ずや仏陀となり、同時に多くの人々を仏縁に助け導くことを一生涯の大事業と致します。 |
| 合掌。 |
千人死すとも我行かん気概を持って観蔵院徒弟 磯部 常仙 (京都市)「この世に仏の国を造る」。これが弘法大師空海のご生涯を通じて持ち続けられた御誓願であった。人々の幸せを願い、その祈りに徹せられた聖者は古今東西を通じて多い。しかし私達日本人にとって弘法大師ほど身近に、しかも親しみやすく、人間一人ひとりの幸せと向上を念じて下さる聖者は他にいない。このように感じるのは深き仏縁をいただいた私だけのものではなく、大師を知るすべての人々の実感であるといえよう。 このような実感的信仰によって今も昔も数え切れない人々が大師に導かれ、大師に救われて、自己の生命と人生の軌道を「大師とともに」歩んできたのである。「弘法大師空海」こそ世界に誇る日本の偉大なる真の聖者であり、わが国の歴史上千二百年の長きにわたって日本文化を支え人々の心に生き続けてきた聖者の遺徳に手を合わせ心よりひれ伏すほかにことばを知らない。 大師の教えを真言密教といい、大師敬慕の信仰を大師信仰という。それは私達凡夫にとって計り知れない哲理を持ち、想像を超えた智恵と慈悲に満ちたものである。仏教の祖師の中で大師こそが偉大なる人格と広い業績を持たれた不世出の大聖者である。大師を知り大師に触れることは、わが日本の文化と歴史を知るだけでなく今も日本の血の中に流れ続けている人間の心の真実を知ることである。 大師は宝亀五年(774)六月十五日の黎明、讃岐国に生を受けられた。当時既に聖武天皇によって奈良の都には大仏殿が建立され、南都六宗といわれた三論・法相・華厳・律・倶舎・成実の各宗も政府の庇護によって栄えてはいたが、一般民衆にとっては手の届かぬ学問仏教の域をでなかった。 大師二二才の時、文献によれば伝戒師は唐より来朝していた泰信和尚に具足戒を受けられた。後年大師は真言宗開宗の論拠とされ仏教各宗の上に立って真言密教の優位性を明らかにされた「十住心論」を著され、また「秘蔵宝鑰」に述べておられるのは当時の僧侶階級に対する戒めであり痛烈な批判である。 「われ仏法に従って常に要をたずぬるに三乗五乗十二部経、心神に疑ありて未だ決をなさず。ただ願わくば不二を示したまえ」と不二法門を求め祈り結願の日、仏より「大和国高市郡久米の東塔に行くべし」との啓示を受け、「大日経七巻」を発見される。大師二三才初春のことであった。 延暦二十三年(804)十二月九死に一生を得、目的地長安の都に着くことができた。性霊集には「波上せいせいとして二月余、水尽き、人疲れて、海長く陸遠し、虚を飛ぶ翼ぬけ、水を泳ぐ鰭つかれたる、何ぞ喩とするに足らむ」と。貞元二十一年(805)六月、恵果和尚、この時大師に向かって「われ先より汝の来るを知り待つこと久し。今日相見るに大いに好し、大いに好し。報命まさに尽きなんとするに付法するに人なし。必ずすべからく速やかに香花を弁じ灌頂壇に入るべし」とのお御言葉。そして異国人である大師に密教の正統を継ぐ第八祖の地位と秘密三灌頂を伝授されたのである。ここにインドよりもたらされた密教は三国伝来の法統を成立したのである。なお、憲宗皇帝は大師に「五筆和尚」の称号を贈られた。 大師は『心経秘鍵』の中で「般若心経を誦持講供すれば則抜苦与楽と成り修習思惟すれば則ち道を得、通を起す」と述べられている。そして『心経』の最終結論である四つの羯諦については、はじめの羯諦は教えを聞法する声聞、第二の羯諦は聞いた教えを修行し実行に移す縁覚であることがわかる。その結果、第三の波羅羯諦すなわち世を救い人に利益を施す人に成る。第四の波羅僧羯諦は具足輪円すなわちこの世に仏国を造ることを意味し、最後の菩提娑婆訶は菩提成就であって仏心の結願と最終理想への到達という意味が込められている。 大師は真言密教の教えをもってこの世を救おうとされた。私も大師空海の志を志し、千人死すとも我行かん気概を持って修行し精進潔斎し、この教えをあまねく人々に正しく広布したい。一日も早くこの世の中の人々が心から幸せになるために命終の尽きて後も伝えたい。不幸な人のなくなるまで。 大師いわく「医王の薬を訪わずんばいずれの時にか大日の光見ん」と。 |
運命の出合い観蔵院徒弟 奥土居 師心 (兵庫県篠山市)私を一変させた阪神淡路大震災 私の社会人のスタートは25才で、神戸市北区の花山という団地で、商売を始めました。儲からない日々が続き、夜は六甲山人工スキー場でアルバイトをしながら、家族3人の家計を支える生活でとても社長とは思えない日々を送っておりました。 闇の世界から光を見出した今観蔵院徒弟 八木沼 元心 (栃木県塩谷郡) |