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この「まんだら交心」のページは、徳山会の会員の皆さまから 身体からのメッセージ大阪市・真言僧 山崎晴幸さん 生まれた時からバアちゃんやない? 近頃少し疲れぎみ・・・。今日久し振りに凝を解すため、マッサージに行って来ました。やっぱり気持いいですね、とても身体が楽になります。心もすっかり和やかに春空の様に晴晴れ・ハッピー・・・ちょっと大袈裟ですが大分スッキリしています。時々行きたいもんです。 しかしまあなんですねぇ〜。凝固まった筋肉を少し揉み解してもらっただけで、人間の気持は随分楽になるみたいです。その効果は短期間のものではありますが・・・。 私が住んでいる大阪には月参りというのがありまして、僧侶は檀家さんの御宅に毎月御参りします。だからほぼ毎日が御参りでそんな我々を待っていてくれているのはやっぱりおじいちゃん・おばあちゃんが大多数です。お経を上げさせていただいた後に入れてくれたお茶を啜りながら、じいちゃん・ばあちゃんと世間話をすることがあるんですが、お話の中の大半を占めているのが今日の天気・季節の話・それと自分の身体のこと。「膝が痛うてたまらんわ」「腰が重い、背中が曲がってきた」「肩が痛くて上がらん」等々。「年はとりたないナァー」と嘆かれます。 「しゃあないで、ばあちゃん。ばあちゃんも若い時あったんやから。生まれた時からバアちゃんやないやろ? あきらめなアカンで」なんて軽口をたたいてよく睨まれてます。 人はみんな年を取ります。「嫌だ!」と言っても長生きすればする程年を取ります。オシャカ様も説かれている様に人生は“苦”。年を重ねれば重ねる程 生・老・病・死は身近な現実となり、全ての人間が逃れることは出来ない・・・そんな事実に押しつぶされている人を(年令に関係なくお年寄にも若者の中にも)時々見かけます。 でもそんな現実に押しつぶされず前向きに“生老病死”に向き合い、ギリギリまで味わいつくすことが出来るのではないか、そう考えてしまうんです。たまに・・・本当にたまにですがすごく元気で前向きな御年寄がいるんです! 本当に数は少ないんですが、でもいるんですよね。皆さんの周囲にもいませんか、異常に元気なお年寄! 身体の不調を嘆くお年寄と背筋をシャンと伸ばして颯爽と歩くお年寄。なんなんだろう、どこで差が付いてしまったんでしょう?「健康な人・元気な人は運が良かったんだ」なんて声が聞こえてきそうです。それもある、イヤ、それはとても大きい理由の一つです。でも理由は他にもたくさんあるはず。 身体は嘘をつかない 元気な人に共通していること、それは皆身体を良く動かしているということ。幼児を見ていると「こいつら止ると死ぬんか?」と疑いたくなる程、健康な幼児は動きまくります。止っている時は寝ている時だけかと思いきや、動きまくっていますよね 寝ている時も、ガキ共は。まあ子供達と同じとは言えないまでも元気なお年寄は我々若者(?)が舌を巻く程の健脚ぶりを示すことが少なくない。筋力は若者の方があるはずなんです。体力も若者の方があるはずなのに・・・。 私が僧でありながら身体に拘わるのは学生時代の体験からです。幼少から運動能力が高くない、イヤ低かった(ぶっちゃけていうとドンクサカッタ)私もやっぱり一応男の子でありまして「強くなりたい」「カッコよくなりたい」との心が人並みにあり、中・高・大と運動部に所属しておりました。 たいして強くもなく、ましてやカッコよくもならず、唯運動している分だけ鍛えられた体と心を持っている・・・はずだったのです。しかし常にどこかに痛みが走る身体・神経質な心・固い頭。「何かが違う」ことに気付きだしたのは僧侶になってからすでに何年もたってからでした。 健康な身体と心を手に入れたくて色々やっていましたが、実はそれが自身の身体を痛めつけ心を依怙地にしてしまっていることに気付いた時はショックで、その事実を認めるのにしばらく時間がかかりました。運動・鍛練が身体に悪いという訳ではない。運動によって健康な身体・心を育てて豊かな人生をおくっている人はたくさんいます。 では何が間違っていたのか? それは「身体のことを知らなすぎた。動かし方がムチャクチャだった。身体からのメッセージに気が付いていなかった。」等々…。 「身体は嘘をつかない」とはアレクサンダー・テクニックの創始者F.M.アレクサンダーの言葉ですが、その言葉通り身体はズーッと前から私にサインをおくってくれてたんですね。「お前、それちゃうぞ。間違えてんぞ。それ以上は無理、やめとけ」。それは苦痛・ストレス・緊張・不快感という形で届いていたんですが、それがサインであることに全然気が付いていなかった、イヤ、無視していました。でもどんなに無視しても、それが意識の表層に登らなくなる程に押さえ込むことに成功しても、苦痛・・・不快感の原因は消えることはない、そのままです。原因は意識・身体の中に依然として存在しているんです。自分の内でおこっている問題を無視する行為は案外大きなエネルギーの無駄使いで、身体の感覚を鈍感にし、心の柔軟性を奪う素となります。 「たいていの人は無意識のうちに身体のどこかでたえず苦痛を味わっている。そして私達は創造や仕事や愛情や進歩のために使うべきエネルギーをその苦痛を意識から隠すために使っているのだ」 今まで外に向けていた(囚われていた)意識を少しだけ内に、身体に向けてみて下さい。いろんなことに気付くことができる第一歩ですから。 腹筋と短気は関連する 我々の身体にはひとりひとりの個性・癖があり、身体と心は互いに影響を及ぼしあっています。たとえばうつ向きがちに肩を前におとして、膝を深く曲げて足を引きずりながら歩いている人が、表情は明るく元気溌剌でポジティブな思考の持ち主である可能性は極めて低いでしょう。身体を使ってためして下さい。うつ向き、肩を前に落とすことで首が凝り、視界が狭くなり、背中が丸まり胸が縮んでしまうので呼吸が浅くなり、膝を深く曲げることで足が固まり・・・。ちょうど重い荷物を背負っている時と同じ様な気分になってきませんか? 日本語には身体と心のつながりを表現しているものが数多くあります。「頭にくる」「目が座る」「足が笑う」。人は大きな心配事がある時は首が凝固まるそうで(首の筋肉は腹の筋肉とつながりがあります)、首関節の可動範囲が狭くなることで視界が狭まり、ますます目の前にある心配事しか目に入らなくなるということがあるそうです。 「借金で首が回らなくなる」なんていうのはそのままですヨネ。他にも「腹が立つ」なんてのがありますが文字通り人は怒りの感情に囚われると腹直筋(腹部前面にあるお肉ですね)が立つそうで、腹筋を固く鍛えている人は腹筋が立ちやすいんだそうです。ということは腹筋を固めている人は短気で怒りっぽいということになり、また首回りの筋肉が固まっている人は目の前で起こっている現象を心配事として取らえてしまいやすい傾向があるということになります。これは良い影響ではないですが、視点を変えて見ると面白いことがわかります。 固まった首の筋肉を柔らかくほぐしてよく回るようにすると心配事がなくなる・・・というわけではないですが心配事の暗い部分に囚われずに冷静に見つめることが出来るようになります。腹筋も柔らかくほぐしてゆけば(特に鳩尾)あまりイライラに支配されずにすむようになり、対人関係もかなり改善されます。この様に身体の問題点にアプローチする事で精神状態を改善することは可能です。 とりあえず生きていけるから 我々があらためて自身の身体を思い浮かべた時、いったいどのようなイメージを持つでしょう? 近代社会に生きる我々が思い浮かべやすいイメージはやはり建築物・精密機械といった所ではないでしょうか。実際に授業で教えられた内容は「人体は精密機械」であるといった身体観が中心にあった様に思います。今もそれは我々の内のどこかに存在し、臓器移植はその流れによって行なわれている・・・そんな気がします。 精密機械といえば、数年前にホンダが二足歩行出来るロボットを発表して話題になりましたが、我々、人間にもロボットのような動作・体形・歩き方をする人をよく見かけます。手足はよく動いているけれど、胴体部分がピクリともしないブリキのおもちゃのような動きをする人が・・・体を鉄骨・鉄板のように使ってしまっている人が。何かがおかしい、そう思うんです。 我々の身は鉄で出来ているわけではありません。我々の身体は年齢や個人差もありますが大半(60〜80%)が水分です。我々の身体には筋肉・臓器・神経にいたるまでいつも体液が通っています。骨でさえも中には髄液が満ちています。人間の身体はロボットのような固体の部分の集合体ではありません。もっと柔軟に動けるはずです。 でもそう簡単にはいかないもんです。普通の人は皆固まったまんまです。自分の身体がどんな状態か・どんな使い方をしているかなんて気にしない人が多いです。なぜでしょうか?それは自分で自分に知らんぷりをしているのもそうなんですが(前に書きましたね)他にも理由はあります。とりあえずそれはそれで生きて行けるんですネ! 間に合っちゃうんです。気が付かなくても生活していけるんです。身体を固めていても立ってられるんです。ロボットのように歩いても前に進めるんです。とりあえず座れる、とりあえず寝ることは出来る…だから中々わからない、気付けないんです。 自身の身体を長い間どれだけでたらめに動かし使ってきたか、それが習慣になってしまっているのに気が付かないんですね。 サインは苦痛であらわれる 肩こり・腰痛・膝痛等サインはいろいろあります。昨日までは全然健康体だったのに今日突然なんて事はまずないんです。でたらめな身体の使い方が積み重なって出てくるもんなんですね。何も特別なことはないんです。毎日の生活の中で自然に行なっていること、通勤・通学・座り仕事・家事等がサインにつながっているんです。でたらめに立ち、でたらめに座り・でたらめに歩き・でたらめに寝て…。サインは苦痛であらわれます。 身体は知らせてくれます、間違い・片寄り・バランスのくずれを。苦痛・ストレス・緊張・不快感は心身のバランスを取りもどすための知識や洞窟力・観察力を得るために身体が与えてくれたメッセージ・・・は少し言いすぎでしょうか? 運動を行なう時、注意しなければならないことは多数の人がバランスをくずした姿勢のまま、癖に気付かないままに動いてしまっていることです。改善されれば良いのですがされない場合はますます癖が強くなっていきます。皆、間違ったことをしたくてしているわけではないのですが、初めの段階では自身の感覚が信用できるようになるまでしばらくかかります。我々現代人は本当に感じるということが不得意になっているようです。頭で理解はするんです。「わかった!」つもりにはなるんです。でも感じてはいないんです。本当にわかってはいないんです。目の前にある掌がどれだけこまかい骨に支えられて機能しているかなんてことは考えもしないし、肘から先には骨が二本あるなんて知っていても体感したことがある人は極めて少数でしょう。ましてや仙骨がどこに有るのかとか、背骨やあばら骨は以外と良く動くなんてことはみんな知らないですもんね。どうでも良い事のようですが本当に知らないんです。 「脳は本来の働きの一部しか使用されていない」なんていいますが身体もそうなんです。あまりにも身近にありすぎてあたりまえすぎて、みんな注意をはらわないからわからないんです。使ってないんです。もったいないですよね。 ゆらす→ゆれる→ゆるむ 身体へのアプローチの方法はそりゃあもう数えきれない程あるでしょう。自分で行なう方法、他の人にしてもらう方法、あるいはその併用。広義に見れば東西医療・民間療法・各宗教の行法・武術・心理学等の中にも。手技によるもの・イメージ・言葉による誘導・呼吸法等もう書くのが嫌になるぐらいです。ただ方法によっては危険なものもあるので、危険性が少ないものをいくつか紹介しておきます。 まずは奈良の高僧が本に書かれていた方法です。「身体をまんべんなくさする」これだけ! 馬鹿にしたもんじゃないですよ。血の巡りがよくなりますし、今回何度もイヤという程くり返した「身体を自覚する」のにも役にたちます。さすりながら「アッこんな所にも骨がある」とか「今日は胃がつかれているな」などと思案するのも良いでしょう。 次にただ寝ころぶという方法です。これはヨーガの「死骸のポーズ」が有名ですが今回はアレクサンダー・テクニックのセミスパインを紹介します。これは背中を完全に床にあずけるもので仰向けに寝て両ヒザを立て、頭の下に本を敷くことによって首の緊張をとりのぞき解放するもののようです。やってみるとたしかに背中が広がるようで心地良いものです。 一回30分ぐらい寝ころがって床に全てをあずけて、その時の感覚を味わう。座り方・立ち上がり方・頭の下に敷く本の高さの調整が少しややこしいですがそれは専門家の本を見て下さい。背中や腰が上下左右にひろがる感じがとてもいいです。ひろがった感覚が立居振舞に生きてきます。 最後にどんな体位でも出来る体操です。立位でも座位でも、もちろん寝ころんでいても、歩きながらでも出来ます。今はやりの金魚運動、あれをもっとこまかくしたようなものです。とりあえず「ゆする」、ただ「ゆする」。「ゆる」というメソッドです。身体のあらゆる所に(あらゆる骨・内臓・筋肉)「ゆる」をかけて行くもので(ただただゆらす・いろんなリズムで)、固まった身体に波動をおこしてほぐしてゆきます。 「ゆらす→ゆれる→ゆるむ→ゆらす…」を延々と続けていく事によって身体全てを(骨までも)ゆるめていく体操です。武道界では超有名人である高岡英夫さんが創作されたメソッドです。ここ数年来、さぼりさぼり続けていますが、身体も心も、大分ゆるんできています。オススメ!です。 身体について色々書かせてもらいましたが、「身体」と書かれている所を「心」とおきかえて読んでいただいても面白いかもしれません。最後までおつき合いいただき有難うございました。皆様の“心身(身心)”の健康を御祈りいたします。 合 掌 |